大判例

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最高裁判所第二小法廷 昭和49年(オ)60号 判決

上告人

東洋鋼鈑株式会社

右代表者

横山金三郎

右訴訟代理人

磯部靖

外二名

被上告人

渡辺敏之

右訴訟代理人

井貫武亮

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人磯部靖、同広沢道彦、同成富安信の上告理由第一点ないし第三点について

所論の減給処分を懲戎権の濫用にあたるとした原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、いずれも採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(大塚喜一郎 吉田豊 本林譲 栗本一夫)

上告代理人磯部靖、同広沢道彦、同成富安信の上告理由

第一点 原判決は理由不備の違法及び権利濫用法理の解釈・適用を誤つた違法があり、この違法は判決に影響を及ぼすこと明白なるものがある。

一、原判決は懲戒権濫用の法理を濫用している。

原判決は、上告人が被上告人の所為に対し日給の三分の一の減給処分を為したことに対し、「本件について減給処分にしたのは、控訴人の前示行動の有する反規律性の程度に比べ、著しく重きに失し、企業主に許された裁量の範囲を超え懲戒権を濫用したものであつて、無効であるといわなければならない」とした。然しながらこれは使用者が従業員に対して有する懲戒権行使の裁量範囲を誤認し、権利濫用法理を逸脱したものである。

権利濫用は一般条項といわれるものの一であつて、その成立のための要件・標識が法の明文を以て厳格に画されているものではないため、解釈・適用上とかく「権利濫用という理論は訴訟上濫用されている傾向」にあるが(東京地裁昭和二七年八月一二日判決)、とりわけ労使関係における解雇・懲戒の事案に対し、権利濫用法理の濫用が顕著である。然し

「元来法律上権利を与えられた者は任意その権利を行使しうるのが原則である。蓋し社会生活に於ては所詮共同生活者相互の利害関係の競合は避け得られないのであるから、法律が一定の者の為に一定の内容の権利を認める限り、それは必然的にその者の利益の為に他の者の利益を排斥することを意味するものに他ならない。従つて権利者がその権利を行使することによつて、たとえ他人に損害を生ぜしめることがあつても、ただその一事だけでこれを妨ぐべきいわれはない。」(最高裁判所昭和三一年一二月二〇判決、最民集一〇巻一五八一頁)

といわれている通り、権利濫用法理はあくまで権利者による権利行使の許容を原則形態とし、それに対する例外的な制約として考えられるものである。例外事象である以上それは厳格に狭く限られた範囲での適用がなされなければならない。

然るにこの権利濫用法理が濫用されると、右の原則と例外の関係が逆になり、権利者による本来正当とされるべき権利行使が殆ど許されないに近いものとなるが、これは本末転倒でありその結果法的安定を危くすることとならざるを得ない。

特に懲戒権行使に対して権利濫用法理が濫用されるときは、労使関係に無用の紛糾を招き、正常なる労使関係の確立を障害することになるから、濫用法理の適用は慎重に為されなければならないところである。

本件の事案は原判決が確定している通り、上告人の適法且有効なる出勤命令により休日労働義務を負担する被上告人が、休日労働を拒否して右命令に違背し職場の秩序を乱したものであつて、就業規則第七四条第三号に該当するものである。そこで上告人は同条の減給、出勤停止、諭旨解雇、懲戒解雇という各段階の処分のうち、最も軽い減給を選んで処分したのである。

懲戒権濫用に関する一般的な標識を示した最高裁判所判例は見当らないようであるが、解除権に関する前掲昭和三一年の判例は権利濫用の成立すべき標識として、加害目的のみの行為、公序良俗に反し道義上許すべからざる行為、及び社会生活上到底容認し得ないような不当な結果を惹起する行為を挙げている。本件の事案はこうした標識と対比するとき全くこれと趣を異にし、何ら権利濫用に該当するものではなく、この点で原判決は懲戒権濫用法理を濫用した誤がある。

二、原判決は懲戒に関する使用者の裁量権を無視している。

原判決は、要するに本件減給処分が著しく重きに失するから懲戒権濫用であるというものである。然しながらこの原判示は、使用者が企業経営上当然有する裁量権を無視し、本来権利濫用となり得ないものを濫用とする誤を犯している。

およそ企業も有機的組織体の一として、企業体内における秩序を維持するため懲戒制度を設けることが認められているが、そうした懲戒制度を設けるに当り、従業員のいかなる事由・所為を懲戒事由と定めるか、又それら各事由につきいかなる処分段階を設け且つそのいづれを重しとするかなどは、社会観念上妥当とされる範囲をこえない限り、企業主体の自由なる決定、裁量に委ねられた問題である。企業によつて業種、業態、地域などに差異もあることから、企業毎に規律違反行為に対する(反規律性の)評価が異るのは当然のことである。

従つて経営者はその経営理念・経営方針、更には企業内慣行や労使協定など、各企業固有の事情をもとに、各企業自体として合理性をもつた懲戒制度を設けることが許されるのであり、そうした各企業毎の事情を無視して一律な基準を当はめるべき問題ではない。

更にそうして定められた懲戒制度の下で、従業員の具体的な個々の反則行為が行われその処分を為すに当つても、処分の選択に関し企業主体に大幅な裁量権が認められることは、経営者が企業運営の結果に対して全面的な責任を負担する者であることからして当然である。とりわけ本件事案の如く解雇を伴わない懲戒の場合、その処分を行うか否か、又いかなる処分を選択するかは、使用者の自由な裁量に委ねられている。

もとより使用者の裁量による懲戒権行使といつても、専ら被処分者を害する意図で不利益に処分したり、又は処分に名をかりてその実他の不当なる目的を追及せんとして処分するに至れば、それは外形上懲戒権行使の形をとりながら既に裁量の枠をこえ、実質上もはや懲戒権行使というに足りないものであつて到底許されないが、そのような場合こそ懲戒権濫用というべきものである。

本件の懲戒処分に当つてはこのような事情は証拠上全く見当らないばかりか、原判決自体も「控訴人は就業規則第七四条第三号に定めるとおり、職務上上長の指示にしたがわなかつたものと言わねばならない」とし、「職場秩序を紊したということができる」として、右懲戒条項に該当する事実の存在を確定している。そうであれば残るところは使用者による各段階の処分の選択にすぎず、それは全く使用者の裁量に委ねられた分野の問題である。

原判決がここに立入つて懲戒権濫用をいうことは、使用者の有する懲戒裁量権への不当な侵害であり、それこそ権利濫用法理の誤つた適用である。

三、本件処分に関し企業内での確信に支持されている事情を原判決は無視している。

懲戒処分の運用に関しては二、にも記した通り、すぐれて各企業毎の個別的具体的な問題であつて、処分の適否をいう為には当該企業内における懲戒制度の運用上の慣行、労使間の合意などをはなれて一般的に論じることはできず、懲戒権行使が濫用にわたるか否かについても同様である。

上告会社内における懲戒制度との関係に於て本件をみると、従業員を以て構成される東洋鋼鈑労働組合との間には労働協約(成立に争のない乙第二号証)が締結されているが、その第二一条には

「労働能率の向上と社内秩序の維持を図る為には懲戒の必要があることを相互に認める。懲戒の基準に関しては別添懲罰規程による」

と定められ、別添懲罰規定第三条及び同第三号には、本件で被上告人に適用した就業規則第七四条及び同第三号と、全く同文の規定が設けられている。従つて、就業規則第七四条第三号所定の事由に対し、懲戒解雇以下減給以上の処分を行うという上告会社の懲戒制度自体についても、更に又原判決が確定した通り就業規則第七四条第三号に該当する所為があつた被上告人に対して、同条所定の減給、出勤停止、諭旨解雇、懲戒解雇という四段階の処分の中から選択適用して懲戒を行うことについても、それぞれ労働組合もこれを合意するという企業内確信の支持が存在する。

斯様な状況から上告会社内に於て、原判決が確定した被上告人の出勤命令違反の如き行為は、社内秩序維持に反する非行とする認識が徹底して居り、被上告人の職場内に於ても原判決理由三項(4)(ハ)に判示の通り、被上告人の所為のような就業規則違反の先例は見当らないのである。

更に、被上告人の本件の具体的反則行為に対し減給処分を行うに当り、上告会社は労働組合に対し昭和四二年九月一九日、労働協約第二一条第三項(事前協議条項)に基く事前協議の申入れを行い(成立に争なき乙第一一号証)、労使協議及び労働組合内部討議を経て、翌一〇月二日労働組合より本件処分の承認が為されている(右乙第一一号証)。このように制度の設定・運用のみならず、本件被上告人の具体的な処分に対しても企業内確信の支持が与えられているのである。而して東洋鋼鈑労働組合は、労働協約第二条に

「会社の従業員はすべて組合員でなければならない。組合員が組合から除名されたとき及び脱退したときは会社は原則として之を解雇する」

と定めているところから明かなように、いわゆるユニオン・シヨツプ組合であリ、組合員資格を有する従業員の全体を構成員とする代表者である。従つてこの労働組合の合意・承認は、とりも直さず企業内従業員のほぼ全員の合意・承認に他ならず、本件被上告人に対する減給処分に関し、強固なる企業内確信の支持があることを証するものである。

原判決が、このように企業内確信を以て妥当とされている本件処分に対し懲戒権濫用をいうことは、権利濫用法理の適用を誤るも甚しいものである。(尚同じ広島高裁昭和四〇年九月一三日判決、労民集一六巻六三八頁、山陽電軌事件は、右と同様労働組合と処分に関し合意が成立した事案に対して、その裁量が労使間の支持によるものであると評価しているのと対比するとき、本件原判決の右の点に関する誤は一層明白なものといえるのである)。

四、減給処分は本件に於て最も軽微な処分であつて、これを権利濫用としたのは原判決の誤である。

本件で被上告人に科せられた処分は、日給の三分の一を減給するものであつて金額にして僅か三二七円であり、絶対値的にも極めて軽微な処分である。のみならず本件の事案にあつて、減給処分は就業規則上上告人の選択しうる限りで最も軽い処分でもある。斯様な、考えられる最も軽微な処分を目して「著しく重きに失し……懲戒権を濫用したもの」という原判決は、使用者たる上告人に対し就業規則に存在しない処分を行なうよう二律背反の不可能を強いるに等しく、この点でも権利濫用法理の解釈・適用を誤るも甚しいものである。

原判決も被上告人の本件所為が就業規則第七四条第三号に該当するものであることを確定していることは、二項に前掲の通りである。(判決理由四項(一)及び五項)。

従業員に就業規則の懲戒条項に該当する所為があつた場合、これを処分するか否かについては、専ら使用者の裁量によつて決すべきものであることは、もし使用者が不処分とした場合、いかに処分が相当と解される場合であつても、裁判を以てしても処分することを命じ得ないという点から見ても明白なところである。

そうであれば問題はその場合処分に当りどのような段階の制裁を選択するかにかかることとなる。本件の場合被上告人の所為は、右に掲げたように就業規則第七四条第三号に該当するものであるが、同条には処分の段階として

「従業員が次の各号の一に該当するときは懲戒解雇に処する。但し情状により減給又は出勤停止或は諭旨解雇に止めることがある」

と規定されている。即ち被上告人の所為に対して考えられる制裁は右の四段階であつて、この中では減給が最も軽いものである。(特に本件で適用したのは一日分に充たない減給であるから、出勤停止とも比較にならない軽い処分である)。

このように可能な選択の限界内で最も軽い選択がなされた本件処分に対し、原判決が「著しく重きに失し」懲戒権濫用であるとしたのは理解に苦しむところであり、権利濫用法理の解釈・適用の誤であるという他はない。

のみならず原判決が、一方では被上告人の所為を懲戒条項に該当する行為であると認定しながら、他方ではその該当条項に存する数段階の処分のうちで最も軽い処分を選択した上告会社の行為に対し、処分が過重であり濫用であるというのは全くの自己矛盾であつて、理由の齟齬を来している。

以上いづれの点よりするも、本件処分を懲戒権濫用とした原判決の誤は明白であり、しかもこの誤は明かに判決の結論に影響するものであるから原判決は破棄を免れない。〈以下、省略〉

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